ひとくち法話
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(古い順で掲載しております)



 私どもは、平安末期より鎌倉時代にお出ましくださった法然上人(1133〜1212)のみ教えを今の時代でも何ら色あせることなく、私たちにとってぴったりしたみ教えと、一種の驚きを含めて、敬い信じております。そのように仏教を信じている人たちは、この日本においてそれほどいないと思っていらっしゃるでしょうが、それは現在の日本人の一般的な意識の問題でもありまして、意識してないとか、本当のことがわかっていない事が多いのですが、実際は、法然上人のお念仏のみ教えこそが、日本仏教史上におきまして不朽の金字塔を立てているのです。
そうした歴史的な事実だけではなく、法然上人は、生きて実存する私どもの宗教的な願望、生きる意味、本音の段階における自己救済、本音の段階における修行の方法をお示しくださっているのでございます。

 福音(ふくいん)という言葉があります。キリスト教的な匂いのする言葉ですが、文字通り、幸せになれる(福)知らせ(音)が福音の意味です。また、「福」の字には、仏様から賜ったものとの意味もあります。仏様から賜った教え、それが法然上人のみ教えであり、まさに福音であります。なんだ仏教なんて古くさい等とおっしゃらずに、古いものこそ大切に接する、尊敬して親しむことが大事と思います。新しいものはすぐ古くなるのですが、古いものは、今も存在していることでわかりますように、決して古くないのです。日本人は、ものの値打ちを知らないことが多い。値打ちを金銭に換算してでないと考えられない。絵画一枚でも、いくらで買った、いくらで売っている、そのことでしか評価しない。本当に絵画好きの人であるなら、その絵が自分に訴えるもの、その絵を眺めてどれだけ生きる勇気が湧き出てくるか、そんなことで評価をすると思うのです。

 法然上人は、南無阿弥陀仏と声に出して仏の名前を呼ぶことを勧められました。このことを実行して、初めて法然上人のみ教えが理解できるのではないかと思います。このことをお釈迦様は薬の服用でお話しされております。
 薬はなぜ効くのか、どのように作用して効くのか、そのことをきちんと理解しなくては薬は効かないとするなら、赤ちゃんに薬は何も効かないことになる。薬は、服用すれば効くのです。その重みをじっくり味わってください。

 私どもは、この欄を使いましてお念仏についてのお話を掲載していきたいと思っております。どうかお一人でも多く福音に会われることを祈っております。                
        合 掌 

                                                     
古瀬 順啓 (第11組 龍泉寺)

合掌のある暮らし

お仏壇に礼拝するひとときを、生活の中につくりましょう。  こどもたちも、かわいい手を合わせ、中学生や高校生も、若者らしく凛々しく生き生きと、お仏壇にお勤めいたしましょう。

青年は、大人の入口として、阿弥陀如来の智恵の言葉(経典)に心して耳を傾けましょう。

成人した人は、落ち着いた『よき家庭』をつくりましょう。『よき家庭』とは、仏道に心をかけた暮らしです。
お念仏を申し阿弥陀如来に護られながら自立と自律のある暮らしをつくりましょう。その、仏を仰ぐ尊い姿は、あとに続く人たちへの手本となるでしょう。

壮年の人は、人生のこと、社会のこと、仕事のことを日々、どっしりと体得しているだけに、仏様の慈悲(経典)に心を宿しましょう。そして、仏様の願いと、ご先祖の願いに応える日々を自分の中で高めていきましょう。

おじいさん、おばあさんは、さまざまな人生経験の中から体得した生き方と仏様を仰ぐ姿から、家庭の中に仏様の光を頂戴し届けましょう。仏様は、いつも、いつも、照らしてやまず・・・・・・・・・。                                                            合 掌

                                                     
勝部 正雄 (第12組 佛眼寺)


                                                     
 浄土宗は、ご本尊さまを阿弥陀仏と戴き、お念仏を申す事を第一としています。お念仏は、「いつでも」「どこでも」「だれでも」申す事のできるたやすい行いであります。

 浄土宗をお開き下された法然上人が、お念仏を申す者は常々次の五ヶ条を時々思いおこして、お念仏の励みとしなさいとご教示下さっておられます。

 第一は、「ある時には 世間の無常なることを思いて この世のいくほどなき事を知れ」と申されています。万物万象は皆移り変わるものであります。諸行無常・愛別離苦はこの世の常であります。なかでも身近な人の死ほど痛切に感ずることはありません。こうした縁に触れる時、我が身の死を思うことを忘れず、縁を導きとしてお念仏を励みたいものです。

 第二は、「ある時には 仏の本願を思いて 必ず迎え給えと申せ」と教えられています。
仏の本願とは、阿弥陀さまのお浄土に生まれたいと願い、お念仏を申す者を必ず迎え給うと約束された願であります。その願に叶うにはお念仏を申すことが大事であります。しかしながら人間には怠け心があるため、すすんでお念仏を申す心が起こらず、だんだんとお念仏を申す行いが疎かになってきます。そこで、仏さまとの間柄が疎遠にならないように、尊い仏法の教えを聞き、御法に触れることのできる縁が大切であります。こうした尊いご縁が、仏さまの御本願を思い、お念仏をすすんで申す心を再び沸き起こしてくれるのです。私のようなものでも念仏申せば間違いなく迎え下さると思ってお念仏に励むことができます。

 第三は、「ある時には 人身のうけがたき ことわりを思いて このたびむなしく やまんことをかなしめ」と申されています。私達は、人としてこの世に命をいただき、今ここに命あることを、先ずは喜び、人として生まれてきた因縁に感謝せねばなりません。そして人として生まれてきたからには、ただ空しく日を重ねるだけではなく、充実した生甲斐のある人生を送らねばなりません。目的を持って日々精進していくなかに、人間として生まれてきたことの大切さを感ずることができるでしょう。

 第四は、「ある時には 会い難き仏法に会えり」であります。
お経様に「御仏の説かれる法は 百千万劫にも遭い遇うこと難し」と説かれています。人として生まれてくる事も、仏様の御教えに遇うことも不思議な縁といわねばなりません。法然さまのお念仏にであえたことを喜びましょう。

 第五は、「ある時には 我が身の宿善を よろこぶべし」と申されました。
素直な気持ちで御仏の教えを信じ、お浄土を願い、お念仏を申す縁をいただけたのは宿縁甚厚のおかげであります。御先祖さまの願、善知識の導きによって、お念仏を申す身にさせていただいたのであります。

 以上の如く、「念死」「念佛」「人身難受」「仏法難遭」「宿縁慶喜」の五ヶ条をときどき思い出しては感謝の心を忘れず、お念仏に励みましょう。
お念仏は、「いつでも」「とこでも」「だれでも」が申す行いですが、「いま」「ここで」「わたしが」申すことが大切であります。    南無阿弥陀仏    合 掌

                                        西  孝温 (第3組 浄福寺)

浄土宗21世紀劈頭宣言
(四編の法話です)



愚者の自覚を
家庭に み佛の光を
社会に慈しみを
世界に共生を
(それぞれ、クリックして下さい)

愚者の自覚を

上の標語は、21世紀を迎えるにあたって浄土宗が出した劈頭(へきとう)宣言の文であります。
今回より4回にわたり一句づつ紹介してまいります。その一句目が『愚者の自覚を』とあります。

 今の社会通念からしますと、「なぜ自分が愚かであることを自覚せねばいけないのか?冗談じゃない。賢くならんといかんのに・・・・・・。」と思われることでしょう。そのために一生懸命努力しているのだから。子を持つ親としては、みんな子供に賢くなることを教え、望むのであります。

 ここで云う『愚者の自覚』とは、人間というのは、どこまで行っても不完全な存在であり、煩悩や妄念に振り回され、迷い・苦しみから離れることの出来ない罪作りな凡夫であることに気づきなさい、ということです。今の人は、江戸時代を生きた人の三千倍からの知識をもっているそうです。そして、科学文明は極限まで発達し、みな表向きは賢くなったように見えます。それで世の中良くなったんでしょうか。

 毎日とめどもなく凶悪犯罪が起こり、テロや戦争におびえ、人間がつくった核によって平安がおびやかされている現状であります。本当に人間が賢ければ、こんなことは起こらない筈です。人間は、どこまでいっても迷いの多い凡夫で愚かな存在であります。

 先年お亡くなりになった国民的作家の司馬遼太郎さんの若き頃のエッセイに、『悪童たちと凡夫』があります。その中に司馬遼太郎さんが中学時代に学ばれた国語の授業の風景が出ています。国語の先生が平家物語にある凡夫について、その意味を尋ねられました。司馬遼太郎さんは予習してあったので、「つまらん人」のことですと答えると、先生は「そう、その通りや」とうなずかれ、さらに「ところで凡夫とは誰のことや」と重ねて質問された。
 教室の生徒たちは、あの勉強が出来なくて落第したA君のことだろうか。いつも悪さばかりしているB君のような者のことだろうかと想像していると、先生は「凡夫とは、先生を含めて皆のことや」と仰り、それを聞いた生徒達は一様に驚いたとのことです。先生は続いて「今は無理かも知れないが、大人になった時、もう一度今日のこの教室の光景を思い出して考えてみて下さい。そうすれば自分が凡夫であることが解るでしょう。」と言われ、「もし、
大人になっても自分が凡夫(愚者)であることを自覚できない人は一生不幸な人や。人間は自分が至らない不完全きわまりない者であると自覚した時、はじめて幸せへの入り口に立つことが出来る」と話されたそうです。

 思えば、世界の一流と呼ばれるお方は、みな愚者の自覚をお持ちでありました。次に記しますのは知恩院のご門主猊下と、日本人として初のノーベル賞を戴かれた湯川秀樹博士との対談であります。湯川秀樹博士は、お念仏の信者でお家の宗旨は浄土宗であり、ご先祖の墓は知恩院山内にあります。「博士、あなたのような科学の第一人者と云われるような方は、どんなことでもご存じでしょう」と、ご門主猊下が博士にお尋ねになりますと博士は「私が知り得たことは大海の水をコップで汲んだほどに過ぎず、わからないことばかりです」とお答えになったそうです。

 また、博士が猊下に「猊下のように修行の出来たお方は、何も苦しみ・悩みはございませんでしょう」と、お尋ねになられると猊下は「人間は生きている限り、悩み・苦しみは無くなりません。ただ、お念仏申すばかりです」と、お
 答えになられたそうです。お二人とも非常に謙虚なお話し合いであったと伝えられています。

「私は偉いんだ。私は間違いないんだ。」と我を張っている間は不平・不満・不安の連続であり、どこまでいっても安らぎはありません。愚者の自覚に立ち至った時に初めて、この私が救われていく道は阿弥陀如来のお慈悲の光明に包まれ、お念仏申させて頂くより他ないことが解ってくるのであります。愚かで罪つくりな私がただ南無阿弥陀仏とお念仏を申すことによって、救われていく道をお釈迦さま一代の教えの中から明らかにして下さったのが、浄土宗祖法然上人であります。法然上人の「み跡」をお慕いし、愚者の自覚の元に共々お念仏申させて頂きましょう。

 次回は、浄土宗劈頭宣言の二句目の『家庭に み佛の 光を』をご紹介させていただきます。                                                     合 掌





家庭に み佛の光を






社会に慈しみを


 耳目を覆いたくなるような凶悪犯罪連続の毎日、いったいこの国はどうなってしまったのでしょう。最近も熱湯をかけ火傷した我が子を放置して死なせた母親。命を奪われるほどの大火傷をした幼い子どもさんの苦しさ、悲しさを思うとき、胸が締めつけられる思いがいたします。そうかと思えば、両親が気に入らないと殺害を計画、実行した男女。ちょっと自分が気に入らないと平気で人をあやめる。まるで人間が畜生以下に成り下がったかのようです。よくもまぁ〜このような惨たらしい事ができるものか・・・・・。

 外は人間の顔をして、内は夜叉のような者がゾロゾロ出てくるような世の中となりました。心のブレーキが利かなくなった昨今であります。今の世の中、何が一番欠けているかと言われると、「慈しみの心」ではないでしょうか。つまり、『優しさ』がかけているのです。

 親が子どものことを無条件に慈しむ。これは天地自然の摂理・道理であります。だれが教えるのでしょう。だれが教えるのでもない、教えられなくても、自分の食いぶちを削ってでも我が子には与え、守っていきたいというのは、母の愛情であり、母性本能と言われ、自然に備わったものであります。我欲のためには、自分の子どもでも殺すというようなことは有り得ないことで、自然の道理に外れているのです。私たちの住む世界が、優しさを失った大変異常な世界になりつつあると言えます。

 ところで、学問・勉強のよく出来る人のことを世間では「あの人は優等生だ」と言います。優という字は「すぐれる」と読み、学問にすぐれるという意味があります。一方「優」という字には「やさしい」という意味もあります。慈しみの心、思いやりのある優しい人も優等生であります。学校も社会も慈しみ深い優しい人をもっと大切に評価し、そんな人を育てなくてはいけなかったのです。それを怠ってきた「つけ」が今でてきているのです。

 ここで、『ぼくのにいちゃんのしんせつ』と題した作文で、内閣総理大臣賞をもらった小学校二年生の藤大介志君の優しさに溢れた作文をご紹介いたします。


  ぼくのにいちゃん、「べんきょうや すかん」と言って、すぐに海へ行く。サザエとりの名人で、たこのしかけもけんきゅうねっ心。そんなにいちゃんは、しまのおとしよりの人気ものだ。この前だって、一人ぐらしのつる子ばあちゃんちの草ぬきを手つだっていた。

  たけうちのばあちゃんがバスからおりると、ばあちゃんのおもいにもつを、にいちゃんがもっていた。 「うわー、だれかと思ったら、ひとしくんや。いつもありがとな。」ばあちゃんはいつもは小さい声なのに、みなとじゅう聞こえる声で、にいちゃんに話しかけていた。

 ある日、にいちゃんに、「かいし、いもほりに行くぞ」と、さそわれて、しまのおとしよりがよく行くはたけに出かけた。にいちゃんは、その日がいもほりだということを、ちゃんとしっていたんだ。つぎつぎと出てくるでっかいさつまいもを、一りん車にのせて、いもばたけを走るにいちゃん。ぼくは、とちゅうでへたりこんでしまった。にいちゃんはすごい。ばあちゃんたちと話しながら、夕方まではたけのかたずけをしていた。

  家に帰るとちゅう、ぼくは、「にいちゃん、どうしてばあちゃんたちの手つだいするん?」と、聞いてみた。すると、「おらや、しよらん」と、ぼそぼそと、つぶやいた。「だって、つる子ばあちゃんは、ひとしくんは、しんせつや、言うてたで」そう聞きかえすと、「ふつうやで、ばあちゃんたち、すきやもん」と、てれくさそうにこたえた。「つる子ばあちゃんち、つたきりや草ぬきしてなかったら、へびがでてきてこわいやろ。ぼくがしとってあげるな」と言っていた、にいちゃんのことばをぼくはおぼえている。

  ばあちゃんたちのことをしんぱいしているにいちゃんのやさしさを知っている。でも、にいちゃんは、「しんせつじゃない。ふつうにしているだけだよ」と、言う。ぼくだったらしごとをたのまれたら、しぶしぶするのに。にいちゃんは、すすんでじぶんからする。

  学校のそうじだって、そうだ。てい学年の子が忘れていたゴミを何もいわずにすててきたり、車いすの友だちのそうじばしょを手つだったりしている。にいちゃんはいつもかわらない気もちで、しんせつができるんだ。きっとにいちゃんは、しんせつが大すきなんだと思う。



 このような心根のやさしい子どもさんがいるのが嬉しくなります。ひとし君のような子どもが増えると、どれ程、私たちの住む世界は安らかで平和になることでしょう。
 私たちの肉体は成長期に鍛えておかないといけないと言われます。同じように慈しみの心、優しい心、辛抱する心も幼いころから教え育てていかねばならないものです。放っておけば、煩悩のおもむくままに自分勝手で挙げ句は自分を害し、他をも害する人間となりやすいものです。
 
 それではどうすれば「慈しみの心」が養われて育つのでしょうか。お経の中に「仏身とは大慈悲これなり」という文がございます。大とは「絶対の完全な」の意でありますから、仏様とは、完全にして円満なる大慈悲をそなえたお方という事です。ですから、仏様(阿弥陀如来)を拝む・念仏を申すことで慈しみの心を仏様が育てて下さり、与えて下さるのです。

 自分の努力で優しくなろうとするのでなくて、仏様を拝み念仏することで、自然に慈しみの心が育てられてくるのです。慳貪な心より、優しさの心をもった人ほど、人生は豊かで幸せであります。

「和顔愛語(わげんあいご)」というお経のご文があります。人に接する時は、やさしい柔和な顔で優しい言葉でもってすべてに接していきましょうというお言葉です。また「愛語よく回転の力あり」という言葉もあります。やさしさに溢れた言葉は、相手の心をも和ませ、よき方へと向けていく力があるというのです。日常生活の中で家族全員が仏様を拝み、念佛を申すひと時を持って、心の方向転換をして行きたいものです。

 次回は、浄土宗二十一世紀劈頭宣言の四句目「世界に共生(ともいき)を」について共に考えてみたいと思います。





世界に共生を

「生かされ」「生かし」「また生かされる」共存共栄の原理に立ち返ろう


 浄土宗二十一世紀劈頭宣言を三回にわたり紹介してまいりました。今回は、四句目の「世界に共生(ともいき)を」について考えてみましょう。


 「共生」とは、世界中の人が仲良く、手を携え、お互い助け合って生きてゆきましょう、と言うことでしょう。
 この理念に対して、現実世界はどうでしょうか。泥沼化したイラクの状態を見た時、この理念とは程遠いものであります。人と人とが傷つけあい殺し合って報復の連鎖の中にあり、人類の長い歴史の中で戦車のなかった日は無いとも言われています。人間のもつ瞋恚(怒り)の煩悩の深さが思い知らされます。今も人を殺すための兵器の製造に躍起になり莫大な金を使っている現実を見たとき、人間は万物の霊長とは言いながら、人間ほど愚かなものはない、まさに煩悩深くして底無き存在であります。


 最近、「負け組・勝ち組」という言葉をよく耳にします。人生は生存競争の世で、弱肉強食の世界だから弱い者を蹴落としてでも、自分が出世して勝ち組にならねばならん、ということでしょうか。子供にも、そのように教えているし、そう思われている人も多いことでしょう。 ですが本来、生存競争や弱肉強食というのは動物(畜生)の世界の生存原理であって、人間の世界に其の考え方をもってくることは誤りであります。 
 その証拠に、この考え方で進めてきた現代文明は、イライラ・ギスギスして思いやりのない、力が左右する社会になってきたことをご覧になれば、おわかりになると思います。


 動物の世界は弱肉強食の世界であると申しましたが、それとても動物は弱肉強食の形を取りながらも共存共栄しているのであります。かつてアメリカ国で実際にあった話ですが、たしか山羊でしたか・・・オオカミに食べられる山羊が、可哀想だし諸々の損害を被るので、徹底的にオオカミを退治(銃殺)したそうです。するとオオカミが居なくなって、山羊は一時的に増えましたが増えすぎたことで、山の草木を食べ尽く
し、やがて山羊も滅びてゆき山さえも荒れてしまったと言うことです。肉食動物が滅んでしまうと草食動物もやがて滅んでしまうのです。動物の世界では、弱肉強食の形を取りながら共存共栄が図られているのです。
 これに比べ、人間の世界はどうかと言えば、人間は未来を考え、過去を思い起こせる存在で、愛ということを知っている生命でありますから、人間の世界の生存原理は「慈悲」でなくてはならないと考えるのであります。


 ところで、二十世紀の後半から発達した学問に「生態学」があります。この学問の発達で、人間を含めた地球上のあらゆる生命は単独であるのではなく、カビや昆虫・微生物に至るまで、密接不可分の関係を持ちながら、互いに生かし生かされて、存在するということが解ってまいりました。まさに共生(ともいき)であります。 実に、お釈迦さまは二千五百年前に全ての生きとし生けるものは共生であることを教えて下さいました。今や、お釈迦さまの教えに反する考え方が人々に広がったがために、無慈悲で自分さえよければ、他はどうでもよい、といった勝手きままな人間がゾロゾロ出てくる世の中となりました。


 今一度、私たちは姿・形といった外見的なものだけを見るのじゃなくして、その中に宿る生命を見ていくことが大切であります。佛道を行じることで、生命がより感じられてくるものです。特に、お念佛を申させて頂くことで、次第に生命が見えてくるものです。すると、自ずから慈しみの心が生じ、全ての生きとし生けるものは共生であることが頷けてくるものであります。



人間をふくめて地上のすべての生命は、
「自然」という大生命に生かされた小さな生命であるという事実を、
今一度、謙虚に振り返ろうではないか。

同じ母なる大自然の子であるという自覚から
「生かされ」「生かし」「また生かされる」という共存共栄の原理に立ち返ろうではないか。

(梁瀬義亮先生著「生命の医と生命の農を求めて」参照)



 以上、四回にわたり、浄土宗二十一世紀劈頭宣言をご紹介させていただき、今回をもって終わらせて頂きます。ありがとうございました。           合 掌



                                            中村晃和(12組 西迎院)
『お念佛の日暮らしを』


 皆さん、あるが上にも「まだ欲しい」「出すのは舌出すのも嫌」という欲の魂が人の姿をして歩いていますが、そんな仲間入りしていませんか?
 箸が転げても笑うお嬢さんなら可愛いが、箸が転げても真っ赤になって腹を立てるという、どうしようもない腹立てが人の姿をして歩いているが、そんな仲間入りをしていませんか?
 まぁ〜世の中には不平不満タラタラ、愚痴が人の姿をして歩いているが、そんな仲間入りをしていませんか?

 見渡したところ、そんな仲間入りをしている人、一人もおられませんね。でも、『ええ加減その強欲直さんとなぁ・・・』と息子に言われたり、『そのカッカッするの直さんと仕舞いに脳卒中で倒れるぞ』と言われたり、『いつまでもグチグチ言うてからに・・・シッカリせんと!』と・・・・・。これは私が家内に言われてることですが。欲張りや腹立てや愚痴の魂ではないように思いますが、日々の生活、始終といってよい程、出てきますね。

失敗は成功の元と申しますが、この格言どうですかね?

 また、つまらん欲出して恥かいてしもた。また腹立てた。こんなこと言っても、どうにもならんのに又いってしもた。つまらんと思うのだから、しなければいいのに・・・また繰り返す。このど根性焼かねばなおらぬか。

 佛法では『人は一日のうちに八億四千の念あり』といい、その思うことみんな禄なことではない。そのままいると必ず迷いの世界に落ちる。いや今の今が、もう迷いの世界の真っ只中、この年の瀬、せめて一年の最後、迷いのない心をと除夜の鐘を打ちならす。せめて、正月ぐらいはと暗い心を屠り去って蘇える。いろいろアノ手コノ手で澄んだ心になろうと試みますが、なかなかです。

 法然上人は、お念佛南無阿彌陀佛と申せば阿弥陀如来が必ず、このどうしようもない心を、それなりに安らかにして下さいますよ、とお教え下さっています。
 この短世を皆さんのお念佛と共に一日一日を暮らしてまいりましょう。 
                                                       合 掌

                                                     

                                   藤田能宏(3組 浄土寺)

『この泥が有ればこそ咲く蓮の花』


 私は桜井市の山ノ辺の道が通っております穴師という処にございます常善寺の住職をさせて頂いております。周辺は万葉集のメッカで、多くの万葉歌人たちが住まいされておった地域でございます。
私の寺は高台にありますので、そこから西山を眺めますと金剛山や生駒山、ちょうど真ん中に二上山を望むことが出来ます。時間の余裕があります日には畑仕事をいたしますが休憩の合間に落日の
様子を拝ませて頂いております。いよいよ帰ろうか・・・と思いますと、東の山からは朧月夜が出てまして誠に有難いところで毎日暮らさせてもらっております。

 ある時、老夫婦が私の村を訪ねてこられ二人でアチラコチラと散策され、万葉集がお好きという奥様の意見で当地に永住されることになった方が居られます。移住されて15,6年過ぎました或る時、奥様が亡くなられ私の寺に言ってこられましたので奥様を送らせていただくことになりました。お話をお聞きしますと、ご主人は長年、大阪大学の事務長をなさった方で勉強ばかりで人生を送ってこられたのでした。
『家内を亡くすと言うことは、こんな心になるのですね。和尚さん何も判りませんが宜しくお願いします』
と、仰いました。毎週の中陰参りに数々お話をさせて頂きました。そして「木魚を一つ買ってください。そして、お念佛を申して下さい。」とお願いしましたら、中陰の間一生懸命お念佛を申しておられました。

 四十九日を迎えようとしていた或る日、「何か、おわかりになられましたか?」と、お尋ねしますと、先生が『何も判りませんが、一つだけ・・・。』と。続けて『家内の行ったところに私も往かせて頂いたらいいんでしょ!』と、お答えになりました。私の主観ですが、さすが素晴らしいなぁーと感じました。
 自分が木魚を叩きお念佛を申させて頂くことは自分から変わっていくのではなしに、如来様の側から、この私を変えて下さる。方向を転換させて下さる。勉強ばかりの人生を送ってきた私であるけれども、奥様の死を通して、一心不乱に念佛を申していると、いつの間にやら私の心が方向転換して下さった。これを回向というのです。その後の五重相伝会には、奥様の位牌を抱いてお受けになり寺の年中行事には率先してお参りされ、長いすや座布団を並べたりと本当の最勝人となって下さいました。


 以上は、私どもの一檀家様のお話ではありますが、どうぞ皆様も強健有力な時、元気にお念佛を称えられる今、わたしの心に浄土をかまえ、構えた浄土に導かれて大恩父母を始め有縁の方々がおいでになるお浄土、もっと言うならば、この私のためにお浄土を構えておいで下さる阿弥陀如来様の御国に往生させていただこう。「願往生心」をふるいおこして浄土の世界に導かれるよう明るく元気に、お念佛の中に生かされて往こうと心に決めて下さることが一大事であります。

 梅雨があけると盛夏がやってきて、私どもにとりましては、一大佛教行事の「お盆」がやってまいります。あのお盆に有難く使われる蓮の花のように、私たちは三毒煩悩に振り回されている毎日ですが、『この泥が有ればこそ咲く蓮の花』です。煩悩深きが故に、法然上人の御詠歌の中に「ただ頼め、よろずの罪は深くとも、わが
本願のあらん限りは」とありますように、阿弥陀如来様の御本願の行でありますお念佛を南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛と称え、自分なりきの素晴らしい蓮の花を咲かせたいものです。                                  合 掌

                                     井本 修之(4組 常善寺)

「命の交差点」

 私たちには父と母がいます。まだ元気な方もあれば、もうすでに亡くなられた方もあるでしょう。また事情があって、父や母の顔を知らない方もあるでしょう。しかしすべての方に、父と母がいることは間違いのないことです。人間だけではありません。すべての生き物に父と母がいるのです。

 その父と母に、それぞれ父と母がいます。私たちから見れば祖父と祖母になります。その祖父と祖母にも父と母がいます。私たちから見れば、曾祖父と曾祖母にあたります。こうしてみてゆくと十代前には、千人人を超え二十代前には、百万人を超え、三十代前には、十億人を超えます。

 これはあくまで計算上の数字です。どこかのところで何人かの方が、重なっているからです。その重なり具合で、この数字は大きく変わってきます。しかし地球上の「生命」の誕生以来、これらの無数の「生命」のひきつぎによって、初めて私たちがこの世にうまれてきたことは、間違いのない事実です。

 また私たちは毎日毎日食事をしております。三度三度、毎日毎日、何十年と食事をしておりますが、その食べ物のほとんどがもとは命のあった生き物です。私たちは毎日毎日たくさんの命を頂いているのです。ごはんも、野菜も、魚も、肉も、みんなもとは命のあった生き物なのです。命のなかったものといえば、塩と水ぐらいでしょうか。

 私たちは生まれてこの方、いったいいくつの命を頂いたことでしょう。無数の命の犠牲の上に、私たちの命が保たれているのです。

 ご先祖様から引き継いだ命を、毎日毎日たくさんの命を頂くことによって維持しているのです。「生きている」のではなく「生かされている」のです。ご先祖様から頂いた命を「縦の命」、毎日食事で頂いている命を「横の命」とすれば、私たちはまさしく「命の交差点」に立たされていることになります。

 この「命の交差点」がスムーズに流れていればいいのですが、昨今の数々の事件、社会状況を見るまでもなく、大渋滞を起こしているのが、この私の「命の交差点」なのです。自分の交差点の交通整理が出来ればいいのですが、自分の力ではどうすることも出来ないのが、凡夫の哀しさです。

 浄土宗のご本尊の阿弥陀如来様は、自分の力ではどうすることも出来ない、この私のために「南無阿弥陀仏」と口にお念仏を唱えれば、必ずお導き下さるのです。たとえて申すならば、大渋滞の交差点に信号機がつくようなものです。信号機によって交差点の渋滞が解消されるように、お念仏を唱えることによって、私たちの大渋滞を起こしている「命の交差点」もやがてスムーズに流れてゆくのです。

 ご先祖様から頂いた「縦の命」と、たくさんの生き物から頂いている「横の命」に感謝のまことをささげ、「命の交差点」の整理を阿弥陀仏様にお願いをし、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・・・・」とお念仏に精進してまいりたいものです。     合 掌

                                       
    
                           中村宏道 (3組 花園寺)


 『値打ちはいっしょや!』

 お念仏を申したら、その声のするところを阿弥様が放たれる光明が照らして下さる。観音勢至の両菩薩を始め諸菩薩を従えて必ず声を訪ねてご来迎してくださる。

 それが阿弥陀如来と言う佛様です。信ずべし信ずべし深く信ずべし!疑って はなりません。

 それがご本願やから。願いやから〜
 私の名前を呼んでくれ!呼んでくれたら必ず救う。浄土に迎えとる!と誓っておって下さる。そういう御方です。だから私が念仏するのを心まちにしておって下さる。どうか!呼んでくれ! と待っておって下さる

 お念仏の意味や理屈、阿弥如来のお徳、総て理解して申す念仏でないと救われない?

 そうやない!意味わからんでも申すの が大事。お念仏するのが先決です。
何しろお念仏を待っておられる。

 長男が生まれてまだヨチヨチ歩きのころ私の顔をみて『と〜と』と言われた時、私を呼んでくれた?
 確かに呼んでくれた!まだろれつ回らず『と〜ちゃん』でも無かったけど本当に嬉しかった。ただただ嬉しかった
 父親なんや〜、ちゅう実感やった。
今は高校三年『おとうさん!なんか手伝おうか?』これもまた嬉しいなあ。
親がなんたるか、どんな苦労あるのか、そんな事分からぬ子供が『と〜と』 と呼んでくれるのも住職としての苦労も親の大変さも少し分かってきて『お父さん!』と呼んでくれるのも。
 親の私からしたらどちらも嬉しい。
 呼ばれるだけで嬉しい。
 値打ちは一緒や。

 お念仏も実は一緒。理屈分からんでも『南無阿弥陀佛』と呼んでくれ!それが如来様の願なのです。阿弥陀様の思いに答えてしっかりお念仏申してまいりましょう。            
 
                                                   廣井一法 (6組 蓮花寺)

『阿弥陀様のみ名を呼ぶ』(その1)

遠い昔、阿弥陀様は法蔵菩薩と呼ばれていた時に「私は一切の衆生を救おう」とお考えになり四十八の誓願をおたてになりました。
そして、私たちに代わって、それは永い間菩薩の修行をして極楽世界をお建てになり、阿弥陀佛という佛様になられたのであります。
「あらゆる人々が、心の底から深く信じて、私の国に生まれたいと願って、『南無阿弥陀佛』と称える者があったなら、皆悉く救い摂って生まれさそう。もし一人でも漏らすことがあるならば、私は佛にはならない」とお誓いくださっているのです。
だから、『南無阿弥陀佛』のお念佛には、苦しみや悩みに満ちたこの世の中で、生き生きとした人生を送ってほしいという阿弥陀様の願いと阿弥陀様のすべての功徳が込められているのです。

『南無阿弥陀佛』は阿弥陀様が幸せを求めて、苦悩している私達を慈しみ、与えて下さった大切なお言葉なのであります。
阿弥陀さまは、「いつでも、『南無阿弥陀佛』と私の名前を呼びなさい。『南無阿弥陀佛』と称える者を、私が必ず救い摂ろう」と、私たち一人ひとりの幸せを願って呼びかけてくださっているのであります。
しかし、「私はすべて分かっている。自分で何でもできるのだ」などと、勝手な思い込みをして、それに気付かずにいるのが私たちではないでしょうか。

お念佛の元祖法然上人様は、お歌に、「月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞすむ」と詠まれています。
『観無量寿経』の「光明遍照…」の文にあるように、「阿弥陀様の大慈悲のみ光は、私たちを分け隔てなく照らして、お念佛を称える人たちを救いとって捨てたまわず」と。なんと有難いことではございませんか。

私たちが信じ求めるところは、この世界から抜け出して極楽浄土に往生させていただくこと、お慕い申し上げるのは一切の人々を平等に救い摂ろうとお誓いいただいた阿弥陀様であります。
そして、そのお浄土に往く行は、「わが名を呼べ」とお示しになった『南無阿弥陀佛』のお念佛の一行であります。

阿弥陀様をお慕いすることは、自分の力で「生きる」ということではありません。
阿弥陀様のお力によって、こちらが意識しなくても、おのずと「生かされる」ことになるのです。それこそが永遠の幸せに至る道ではないでしょうか。

                        大 和 布 教 研 修 道 場   堤 賢昭(第7組 西方寺)
『阿弥陀様のみ名を呼ぶ』(その2)

 元祖大師法然上人ご法語『一枚起請文』の中に、「念佛を信んぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知の輩に同じうして、ただ一向に念佛すべし」と。

 私たちの浄土宗をお開きになった法然上人様は、本来、佛教の教えは多くあるとはいえ、せんじ詰めれば、それは「戒律をまもること」、「心を静める境地の禅定」、そして「煩悩を断ちきるさとりの智慧を得る」という三つに収まります。
 しかしながら、この私は戒律を一つさえ保つことができず、禅定を修行しても心は一つ変わらず。智慧を深めようとしても煩悩を断ち切るさとりなど極めることができません。どうして生死の迷いの世界に縛り付けられたこの身を解き放つことなどできましょうか。
 ああ、誠に悲しいことではありませんか。ああ、どうすればよいのでしょうか。と悩み抜かれました。
 その結果、到達され、気付いていただいたのが、中国の善導大師様がお示しになった『阿弥陀様の本願のお力』でございました。

 皆様、阿弥陀様ってご存じですか。
 阿弥陀様は菩薩様であった時(まだ佛になっておられない時)に、私たちのことを哀れに思い、『どうすれば、すべての人を救うことができるか。どういうお浄土にしようか。そのためにどんな修行をしてもらおうか』と考えに考えて、四十八の誓願をお建てになりました。
 その十八番目が、『もし私が佛になったならば、あらゆる人が心から我が国に生まれたいと心から願って、乃至十念。「南無阿弥陀佛」と称えて、生まれることが出来なかったら、私は佛にはならない』と誓ってくださったのです。
 そして、私たちに代わって長い長い間ご修行なされた結果、佛になられて極楽浄土というすばらしい世界をお開きになったのであります。

 だから、阿弥陀様の「わが名」を呼ばせていただくこと。心から信じて「南無阿弥陀佛」と称えたら、極楽往生は確実なのであります。
 どうぞ、お念佛をお続けいただきますように。

                    大 和 布 教 研 修 道 場   堤 賢昭(第7組 西方寺)
『アミダさまと電波と私たち』

 近頃随分と便利な世の中」になってきました。とりわけ著しい進歩を遂げているのが『携帯電話』ではないでしょうか。
その発展ぶりは目を見張るばかりです。「メール」「カメラ」は勿論の事、最近では音楽や「ワンセグ」とか云ってテレビの野球中継などが観られる等々便利さはエスカレート、求める私達も更に更に、と『欲』がエスカレート、常に心は満たされずに悩みくるしんでいるのでは。
物満ちて心が満たされない世界にいる私達。この悩み苦しみをお救い下さるのが『アミダさま』。そんなアミダさまと交信出来る携帯電話があればチョーありがたいかも!。それがあるんです!!。

 それは至って簡単。心に『南無』のスイッチを入れる事。我が名を呼べば必ず救いとってやる、とのアミダさまのお慈悲のみ心『本願』の発信を心に『南無』のスイッチを入れる事で受信する事が出来るのです。
 では、『南無』のスイッチを入れるという事はどういう事かといいますと、『アミダさまを信じる事、必ず救って下さる』と心に深く信じきる事、それは『お念佛を称えて唯ひたすらにアミダさまにおすがりする事』なのです。それは『ただ一向に念佛すべし』の外にありません。
ただ一向にお念佛を発信して下さい。アミダさまのお持ち下さっている携帯電話は超高感度で『電波の届かないところにあるか…』なんていう様な事は絶対ありません。

 宗歌『月かげのお歌』の如く、届かぬ里はありません。全てに届くアミダさま専用の特別電話です。
小さい声のお念佛でも大丈夫です。安心して発信して下さい。必ず救いとって下さいます。
 先程もふれましたが、浄土宗の宗歌
『月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ』
このお歌の『月かげ』とは、アミダさまのお慈悲の御光と解させていただいております。
『眺むる人』は、即ち私達のアミダさまにおすがりする心、最後の『心にぞすむ』は、まさにお念佛をお称えさせて頂く人柄にならせて頂く事と解しております。そして最後におおきな『安心【あんじん】』を頂くことを念じつつ、お話を終らせて頂きます。南無阿彌陀佛

   大和布教研修道場 阪本教静 (第4組遣迎寺)





 『縁にふれて、念佛を行じ、往生を期すべし』


「悪いことはしてはいけません。善いことをしなさい」−−このことは子供でも知っていることです。佛教では、過去・現在・未来(三世)の佛さまに通ずる教えとして「諸悪莫作 諸善奉行」と説かれます。

 さらにまた「善い種を蒔けば、善い花が咲き、善い実が結ぶ。悪い種を蒔けば、悪い花が咲き、悪い実が結ぶ」(善因善果 悪因悪果)という”因果の道理”も、よく承知しているところでしょう。

 そうならば、現実の日々の生活の中で、このような暮らしが出来ているのでしょうか。善いことが実行できているのか、悪いことをしないで過ごしているのか……こう問われたならば、なかなかそうはいっていないことに気づかされます。

 朝、人と出会った時など「おはようございます」、食事の前後に「いただきます」「ごちそうさまでした」−−こうした挨拶をすることは善いことだ、そのことによって皆が明るく、正しく、仲良くなれるし、自分も気持ち良くなる。しなければならない−−わかってはいるけれども、何となく照れくさかったり、面倒だから、などと素直に実行出来ないということはないでしょうか。

 何か集中しなければならない時、蚊が飛んできて、刺そうとしたとしましょう。人の血を吸う蚊は決して私たち人間に好かれる存在ではないようですが、命をもった生き物に違いありません。蚊一匹の命も大切にしなければならない、殺生することは悪いことだ、と承知しながらも、思わずパン!!と自分の手で叩いてしまったことはないでしょうか。

 このように私たちの普段の生活を振り返ってみますと、佛教のみ教え「諸悪莫作 諸善奉行」を頭ではたやすく理解できても、日々の暮らしの中で実践していくことは、非常に難しいことのように思われます。

『南無阿弥陀佛』と声に出すお念佛を行じることで必ず幸せになることが出来るという浄土のみ教えをお示し下された法然上人−−私たちのような者のために次の様にお導き下さいます。『縁にふれて、念佛を行じ、往生を期すべし』

 つまり、いつの時でも、いかなる場所でもよいのです。真剣に佛さまの悟りの世界(お浄土という理想の世界)を願い求めて常にお念佛を申すように心がけなさいと。

 共にお念佛に励んでまいりましょう 合掌

                            山中 眞悦 (第二組 吉田寺)

 『地球が滅びても』

ある人:壊れ行く日本・溶け行くニッポン、と新聞は毎日、不安を煽っている。
    テレビはバラエティ番組全盛。明日は考えるな、と言わんばかりだ。

和 尚:日本もおしまいですか・・・。全てが混沌としてきたようで。

法然上人:『たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日、リンゴの木を植える』
     東欧の詩人、ゲオルグくんの作だよ。

     私が勧める『念佛の行の功徳というのは、念佛で心が変化を始める、』
     ことなのじゃ。

     阿弥陀佛の清浄光(しょうじょうなひかり)に照らされて、
     貪(むさぼり)の心・瞋(いかり)の心・不安に思う心が治まって行く。

     明日が不毛でも、今日リンゴの木を植える。そんな気概(げんき)も
     湧いてくるというものじゃ。

                            川野 隆潤 (第三組 善福寺)
            
 『蝉(セミ)の声』

ある人:前回、紹介されてた気概詩(げんきのでるうた)
    『たとえ地球が明日滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える』
    たかが念佛で、そこまで高まりませんぞ。
和 尚:高まらぬ我ら故に念佛を申せ、と法然上人の「み教え」なのですが。
法然上人:長野や青森でなきゃ、リンゴ栽培は難しいかものぅ。
     病に臥す/来年は桜を見られぬかも・・・
     そんな局面、人生最難関(いちばんきついとき)にも崩れない。
     病に負けぬ/晩年を美しくと、奮い立って行く。
     念佛申せ。そんな不可思議功徳(ふしぎなちから)が湧いてく     るぞ、とお釈迦様からの受け売りじゃ。
     「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」
     芭蕉くんが教えてくれたが、頭で生きている人間には、なかな     か蝉にも及ばぬからのぅ・・・

          大和布教研修道場 川野 隆潤
 (第三組 善福寺)
  慈 悲  〜親心〜

 
諸仏の王と言われている阿弥陀様は慈悲のかたまりのお方であります。迷い苦しみの世界に生きる我々(衆生)を救いたいと願い誓っておって下さるのです。
 今回は慈悲をテーマにお話ししていきたいと思います。
 慈悲とは一体どのようなものなのか? 「仏の慈悲を知るには親が子を思う心にやや近い」と申します。慈悲とは身近なものに例えると「親心」であるということです。親心を無限に広げたものが仏の慈悲であるのです。では親心とはどのようなものであるのでしょうか。親心とは、親が子に対して一方的に抱く思い。決して見返りを求めない。
 ここで一つ親と子のやりとりを紹介してみたいと思います。
 下村湖人先生の『心の窓をひらく』という本の中から『お母さんのかんじょうがき』という作品です。
 進クンが前夜書き付けた手紙を、朝お母さんの机の上に置いて学校に行きました。手紙には次のように書いてありました。

 「市場に買い物に行った買い物行き賃 10円
  お母さんの肩のあんま賃 10円
  お庭の掃除賃 10円
  妹を教会に連れて行き賃 10円
  お母さんが婦人会の時の留守番賃 10円  合計50円」

 この手紙を見てお母さんはニッコリ微笑み、進クンの机の上には50円が置いてあり、進クンは大喜びでした。その翌日、今度はお母さんからの
かんじょうがき≠ェ机の上に置かれていました。

 「すすむが熱を出してはしかにかかった時の看病代 タダ
  学校での本、ノート、えんぴつその他 タダ
  毎日のお弁当代 タダ
  寒いときのオーバー代 タダ
  すすむが生まれてから今日までのお世話代 タダ  合計タダ」

 進クンはこの手紙を見て胸がいっぱいになり、大粒の涙があふれだしてきたそうです。親から受けた愛情(慈悲)は子どもにしみ込み、この親にすがっていたら大丈夫! その思いが声となり、「お母さん」と呼ぶのです。
 このお話しは親と子の関係ですが、阿弥陀仏の慈悲は全ての人に対してであります。私たちが一人でも多く一日でも早く阿弥陀仏の慈悲に気づき「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の名を呼ぶ念仏の生活を送らしていただきましょう。   

                            (1組 浄国院 松谷光悦)
 
 閻魔の庁

法王、罪人に問うていわく「汝、仏法流布の世に生まれて、なんぞ修行せずして、いたずらに帰り来たるや」と。その時には、我らいかが答えんとする。

 この文章は、法然上人が比叡山へ送った『元久法語』(げんきゅうほうご)と言われる書状の一文です。法王とは冥界の王「閻魔さま」、罪人とは私のことです。何度も生まれ変わり、死に変わりしている私が又、人として生まれてお釈迦様のみ教えである仏教に触れておきながら、一つの修行も満足に成就することなく死んでゆく。
 閻魔さまの裁きの筵(むしろ)では、申し開きのしようのない罪深い人生をただ嘆くのみ。「いく度この庁へ戻ってきては、何度も三途(地獄・餓鬼・畜生)に落ちて行きたいのか」と閻魔さまも呆れられておられる様子。その私を哀れんで臨終の時より寄り添い、告別の後に必ず浄土へ救い取って下さるお方がおられる。死後に閻魔の庁に至るのではなく、この世に生あるうちに死線を越える前から守っていて下さる、唯一無二の阿弥陀様。「頼むからお念仏を唱えて救い取ってもらいなさい」と勧めて下さる法然上人。なんぞ修行せずして、いたずらに帰ってしまう私に唯一残された法門はお念仏のみ。
 私の往生は定まっています。お念仏を唱えて下さる方々の往生は決定されています。阿弥陀様の慈悲、お釈迦様の教導、法然上人のお勧めに感謝、感謝。合掌十念 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。                                                              (第四組 慶運寺 溝端隆桂)
 
 南無阿弥陀仏

 法然上人が九才から四十三才まで、実に三十四年間、艱難辛苦の仏道修行の末、中国は唐の都、長安に於いてお念仏のみ教えを命がけで進めておられた善導大師というお方の御書物である『観経の疏』の中の「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざるは是れを正定の業と名づく。彼の仏の願いに順ずるが故に」という一文を頂かれ、これよりすべての余行を捨て去りお念仏の道一筋の人となられた。
 今まで懸命に勉強しても修行しても心が清らかさの塊の者にはならなかった。こんなものの為に阿弥陀仏は、我が名を称えよ、十悪の法然房、愚痴の法然房のままでよいから、南無阿弥陀仏とお称えしてくれるだけでよい。必ず汝を救うとのお誓い。嗚呼私のような者はこの弥陀のお誓いに打ち乗りおすがりして、ただただお念仏を称えるしかないのだと頂かれた時の様子がお伝記に、比叡の山の奥、青龍寺に於いて十日間、夜昼ぶっ通しで悦びの涙が十日間両眼よりとめどもなく流れ出たというのです。
 この善導大師の一文によって、法然上人は浄土宗をご開宗下さったということでこの一文を浄土宗開宗の文と申しています。
 私たちはお仏壇の前や、お墓の前、また、お寺にお詣りのとき、お念仏をお称え
いたしますが、このご文では、いつでもどこでも時や所を選ばずお念仏をお称えいたしましょうとのお示しです。電車の中、道を歩いているとき、食事の時、お仕事の時、テレビ見ているとき、トイレに入っているとき、子守をしているとき、お休みのとき、朝でも昼でも夜でも、四六時中、どんな場所、どんな時でも、服装もきしっとしてようがしまいが、真っ裸だって厭いません。
 苦しいとき、悲しいとき、嬉しいとき、順境逆境にかかわりませず、お念仏を称えることこそが、この世に生まれてきた甲斐であるというもの。このことを正定の業と申します。お互いにこの人生の一日一日を、どんな方でも必ず救うとの阿弥陀仏のお誓願に我が身を打ち任せて暮らさせて頂きましょう。       合掌
                                       
                               (第3組  浄土寺 藤田能宏)
 
『阿弥陀仏と 十声称えて まどろまん ながき眠りに なりもこそすれ』

(法然上人御作)


 三月となり、少しずつ暖かくなってきました。厳しい冬を耐えた分だけ春が待ち遠しくもあり、確かに春の息吹きも感じられる今日この頃です。朝晩の冷え込みも和らぎ、ぐっすり眠れるようになりました。まさに「春眠暁を覚えず」ついつい寝過ごしがちではないでしょうか。 

 そんな朝に思い出すのが冒頭の法然上人御作と伝えられる御歌です。意味するところは、「南無阿弥陀仏と十声お称えしてしばし眠るとしましょう。この眠りが永遠のものとなるかも知れませんから」となります。つまり、「この眠りが最期となり、もう二度とこの世で目を開けることが出来ないかも知れません。そう思って十遍お念仏して眠りましょう」ということです。 

 誰しもまさか自分のこととは思えないのですが、それが起こり得る現実であることを強烈に突きつけられたのが、一周忌を迎えた東日本大震災でした。テレビや新聞、あるいは巷で盛んに「無常」や「無情」が語られ、残された私たちは亡くなられた方の分まで、一日一日を大切に生きなければと誓ったはずです。しかし、なかなか一日一日を本当に大切には出来ていない、どうすれば大切に過ごすことになるのか分からない、というのが実際かと思います。 

 おりしも今年はオリンピックの年で、四年に一度の閏年です。2月29日が閏日でしたが、実は今年は閏秒もあります。7月1日の8時59分59秒と9時の間に1秒が足されます。つまり今年は例年より1日と1秒長いことになります。なかなか実感出来ませんが、確かに1日と1秒長いのです。東日本大震災を思えば、その1日1秒をムダには出来ませんよね。 

 私たちお念仏の教えを信じる者は、そんな1日あるいは1秒を最期かも知れないと覚悟し、お念仏を一念でも多く称えるべきです。この世での最期の瞬間かも知れないと思いを致し、後の世は極楽浄土に生れたい。阿弥陀さまのお迎えを頂き、極楽浄土で目を開けたいと願うべきです。その切なる思いを込めて一念一念を大切に称えるのが、念仏者の一日一日の過ごし方です。 

 季節の移ろいは早いものです。「一月は行く。二月は逃げる。三月は去る」とよく例えられるのは誰もが実感するところでしょう。それでは、四月は何と言えるでしょうか。無常・無情のこの世の中を思えば、それは「死ぬ」かも知れません。いつその時が訪れるか、誰にも分かりません。それならば「五月は極楽」といきたいものです。常に最期を意識しながら生きていくのは難しく、重く苦しい生き方かも知れません。しかしそれが念仏者の心がけであることを忘れず、怠惰で能天気な私は、せめて眠る時は法然上人の御歌を思い出して十念するのです。春眠暁を覚えずとも、南無阿弥陀仏を忘れずに。 合掌
(第三組 善福寺 桂 浄薫)



村のおばあちゃんが亡くなった。そんな満中陰でのお勤めでの話、大勢のお参りがある時はみんなで大きな数珠を囲んでの数珠繰りのお念仏。ナム・アミ・ダブ・ナム・アミ・ダブ・・・・
 そんな数珠繰りの間、まだ2歳3歳程のひ孫のお嬢ちゃん。お母さんの膝の上にのっかって、みんなのお念仏にあわせてナムナムナム。まだまだその手に持ちきれない大きな数珠の珠を必死に繰ろうとするが繰れない姿がとっても愛おしい。
 僕は木魚を打ちながら、そんな姿を見ているとそのお嬢ちゃんと目が合った。目が合ったら数珠を持つのをやめて、お坊さんの私にその小さな手を合わせてお辞儀をする。なんとかわいらしい合掌の姿でしょうか。目が合う度に数珠繰りの手を止めて何度も僕に合掌をしてお辞儀をしてくれるその姿がたまらなく尊くて、こちらも頭を下げずにいられない。
 親戚兄弟孫ひ孫が集まって、近所の村の方も集まって、こんなに沢山の方にお念仏で見送られたおばあちゃんはきっと幸せな人生をあゆまれたんだなと感じました。そして、こんな小さなひ孫のお嬢ちゃんの姿をみて、おばあちゃんは今頃は西方極楽浄土で微笑んでいるにちがいない。見守っていてねお婆ちゃん、と僕もおばあちゃんの遺影に向かって南無阿弥陀仏。
 西方極楽浄土で阿弥陀様が見守って下さる。お念仏の声するところに必ず寄り添って下さっている。その阿弥陀様と一緒になって必ず亡き方も見守って下さっていると信じてただただ南無阿弥陀仏と口に出してお唱えする。
 阿弥陀様は南無阿弥陀仏と私の名前を呼べば必ず救いますよとお誓いくださいました。その誓いを信じて私達は明るく、正しく、仲良く日々の生活の中にお念仏のある生活を送っていきたいものですね。
 悩みながらも、迷いながらもこの世の荒波を生きる私達を照らして下さる阿弥陀様のお光りと、先立たれたご先祖様は必ず私を見守っていてくださるのだと信じてお念仏をお唱えしていきたいものですね。(第三組 浄土寺 藤田宏至)