ちょっといい話

(ホームページ管理人の独断コーナー)

              「母と子」 (奈良国立博物館学芸部長  西山厚)

 お釈迦樣のお母さんは摩耶夫人という。摩耶夫人は、お釈迦さまを生んで七日で亡くなった。
難産だったのだろう。だからお釈迦さまは、お母さんの顔を知らない。
 それから長い年月が過ぎ、悟りを開いてブッダ(目覚めた者=仏)になったお釈迦さまは、お母さんに会いに行く。亡くなった摩耶夫人は天の世界に転生していたのである。
 お釈迦さまが天に着くと、文殊菩薩が知らせに行った。
「あのときあなたが生んだ赤ちゃんは、素晴らしい人になって、あなたに会いに来られました。さあ、一緒に行ってお話を聞きましょう」。
 それを聞いた摩耶夫人は、うれしくてうれしくて、乳房からおっぱいがあふれ出た。
 でも、本当かしらという気持ちもどこかにあったのか、「その方が本当に私の子どもであるのなら、おっぱいよ、その方の口へ入れ」と言って乳房を搾ると、おっぱいはぴゅーっと飛んで、お釈迦さまの口に入った。
 これを見た摩耶夫人は「喜び給うこと限りなし」。その時、世界が震動した。世界もまさに喜びに震えたのである。お母さんがやって来るのを見て、お釈迦さまも「喜び給うこと限りなし」だったそうだ。
 母と子がおっぱいでつながっている。とてもいい話だと思う。
 私はずっと考えていた。摩耶夫人は生まれたばかりのお釈迦さまにおっぱいを飲ませることができたのだろうか。この世を去る前に、せめてひとくちでも、おっぱいを我が子に含ませることができたのだろうか。
 経典にはそんなことは何ひとつ書かれていない。経典は男たちが作ったからだ。男はそれがどれほど大切なことであるか気付かない。
 我が子が会いに来たことを知った時、どうしておっぱいがあふれ出たのであろうか。あのとき飲ませることができなかったからだろうか……。
 中国の寧波に阿育王寺という古刹があり、古くから中国における舎利信仰の拠点になっている。大切な舎利(お釈迦さまの遺骨)を祀る建物(舎利殿)の裏には泉がある。その泉を囲む石壁には「母乳泉」と大きく文字が彫られ、そのあとにはお釈迦さまが天に昇った際に摩耶夫人の乳房からおっぱいがあふれ出た話も刻まれている。この泉の水は白くて甘く、それゆえに「母乳泉」と名付けられたそうだ。
 五年前、初めて阿育王寺へ行った際にこの泉を見つけ、しみじみとした思いになったことを覚えている。

 こんな物語もある。
 インドのある国のお妃が子どもを生んだ。しかしそれは五百の卵だった。王様が気味悪がったので、お妃は卵を小さな箱に入れて川へ流した。
 狩りに出かけた隣の国の王様が、箱が流れていくのを見つけた。取り上げて開いてみると、五百の卵が入っていた。これを持ち帰ったところ、しばらくして卵からそれぞれひとりずつ男の子が生まれた。
 王様には子どもがなかったので、とても喜び、心込めて養育しているうちに、五百人は成長して国内に並ぶ者がない強い勇士となった。
 ふたつの国は敵同士だったので、五百人の勇士は隣国に攻め入り、城を包囲した。
 王様は大いに恐れ歎いたが、お妃は城の高楼に登って叫んだ。
「汝らは我が子なり。信じられなければ口をあけて私を見よ」。
 そして乳房を搾ると、おっぱいは五百の方向へ飛び、五百人の勇士の口へ同時に入った。
 真実を知った勇士たちは、城の包囲を解いて帰っていく。そののち、ふたつの国が戦うことはなかった。

 奈良県生駒市の法楽寺で、素敵な絵馬を見つけた。お母さんの大きなふたつの乳房から、おっぱいがほとばしり出ている。
 元気なお母さん。でも実際には、おっぱいが出ないお母さんが、こんなふうに出てほしいという切なる願いを込めて奉納したものである。
 おっぱいの出が悪くて子どもがぐずると、お母さんだって泣きたくなる。全国各地のお寺や神社にこれに似た図柄の絵馬があるのはよくわかる。

 天から戻ったお釈迦さまはやがて死を迎える。知らせを受けた摩耶夫人は急いで天から降りてくる。しかし、間に合わず、お釈迦さまは棺に納められていた。これを見て摩耶夫人は、悲しみのあまり地に倒れる。
 そのとき、不思議なことが起きた。棺のふたが開いたのである。お釈迦さまは上半身を起こし、胸の前で手を合わせ、摩耶夫人を見た。周囲の驚きをよそに、じっと見つめ合う母と子。
 そんなことが現実にあるはずはないが、私はこの場面が大好きである。母と子の絆は固い。
 おっぱいは偉大だ。


   (『知恩』2012年9月号22頁〜25頁より転載させていただきました)